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Encyclopedia of Camps and Ghettos 1933-1945 [├戦争と平和・現代史]
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米ホロコースト記録博物館ではさまざまな言語で書かれ、世界中に分散しているナチスの強制収容所に関する資料を一本化するとともに、ナチスに迫害された人々が収容された場所の記憶を風化させない目的で、「Encyclopedia of Camps and Ghettos 1933-1945(強制収容所とゲットーに関する百科事典 1933-1945)」プロジェクトを立ち上げ、情報収集を開始。全7巻中の第1巻が7日に公表された。
この調査では当初、迫害施設の数は5000~7000か所と予想されたいたらしい。
調査が進むにつれてその数は膨れあがり、現在2万ヶ所近く確認されているという。
同事典によると、ナチスは政権を握った12年間で、強制収容所以外にも処刑場、
ゲットー、強制労働キャンプ、捕虜収容所、再定住施設、安楽死センター、売春宿、
刑務所といった迫害施設も建設した。
ナチスと友好関係にあったフランス、ルーマニア、ノルウェー、イタリアの各国も、
同様の施設を導入したとも証言されている。
また、迫害の主な対象はユダヤ人だったが、ロマ民族、同性愛者、
レジスタンスの戦闘員、捕虜、共産党員にも迫害は及んでいたのだと…。
何だか、現代のどこぞの半島国を彷彿させる…非道さだ。
ナチスのこれらの行為を知れば知るほど、
逆に某国が可愛く見えるのは何故だろう。
負の歴史的遺産ではあるが、こう言った物を語り継いで行く義務を、
人類は負っているのではなかろうかと、とも思うのである。
百科事典の残り6巻の編集は、2018年までに完了する予定。
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ノルマンディー上陸作戦65周年式典 [├戦争と平和・現代史]
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オバマ大統領「Dデーの犠牲者のことを決して忘れてはならない」
サルコジ大統領「この作戦でどれほど多くの犠牲者が出たか、どれほどの苦しみを味わったかを決して忘れてはならない。平和と正義を実現する夢を決して放棄してはならない」
ブラウン首相「史上最大の戦争における史上最大の上陸作戦で戦った勇敢な兵士たち」
1944年6月6日に行われたノルマンディー上陸作戦で
フランスに上陸した連合軍兵士の数は約15万6000人に上る。
作戦中、激しい戦闘があったオマハビーチでは、米兵9387人が戦死した。
この式典、色々悶着があったらしいですね。
ブラウン英国首相の独断で、急遽式典に便乗参加したため
起きてしまった騒動…矛先はフランス政府に向けられそうだ。
じゃぁ、誰が悪いのかって、独断で参加してしまったブラウン首相じゃないの?
これは相手が相手だけに、長引きそうな話になりそうです。
国内での立場が危うくなりつつあるブラウン首相。
この火消しにどう対応するかで、今後の進退にも影響しそうだ。
英女王招待されず「侮辱だ」と大騒ぎ 仏の上陸作戦記念行事
5月29日9時7分配信 産経新聞
Yahoo!news:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090529-00000518-san-int
【ロンドン=木村正人】「史上最大の作戦」と呼ばれる第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦の65周年を祝うフランスの記念行事にエリザベス英女王が招待されていないことがわかり、英メディアが「侮辱だ」と大騒ぎしている。
1944年6月6日、英米など連合国軍はドイツ軍制圧のためドーバー海峡を渡り仏北西部ノルマンディーに上陸を開始した。
英紙デーリー・メールによると、65周年の来月6日の記念行事に合わせて、イラク戦争で悪化した仏米関係の改善を印象づけるためサルコジ仏大統領がオバマ米大統領を招待。これを受けてブラウン英首相が急遽(きゆうきよ)、“便乗参加”を決めたことから話がややこしくなった。
同首相はノルマンディー上陸作戦の記念行事への出席は25、50、60、100周年で十分との立場で、65周年の今回は出席の予定はなかった。このため、仏エリゼ宮(大統領府)にも英王族の招待リストを伝えておらず、フランス側からエリザベス女王への招待状が届かなかったようだ。
英大戦中、エリザベス女王は英国内で婦人部隊に参加しており、退役軍人の信頼は厚い。60周年の2004年にはチャールズ皇太子とともに記念行事に参加していた。
デーリー・メールは記念行事に米仏両国から国家元首である大統領が参列するにもかかわらず、英国の国家元首であるエリザベス女王が招待されていない点を指摘、これを英国に対する「侮辱だ」と反発した。
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【The Longest Day】ノルマンディ上陸作戦から65年 [├戦争と平和・現代史]
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ノルマンディー上陸作戦とは、第二次世界大戦中の1944年6月6日に行われた
オーバーロード(大君主)作戦を指す。
ナチス・ドイツによって占領された西ヨーロッパへの侵攻作戦。
最終的に、300万人近い兵員がドーバー海峡を渡って
フランス・コタンタン半島のノルマンディーに上陸した。
史上最大の上陸作戦であり、作戦から60年が過ぎた現在まで
これを超える規模の上陸作戦は行われていない。
本作戦は夜間の落下傘部隊の降下から始まり、続いて上陸予定地への空爆と艦砲射撃、
早朝からの上陸用舟艇による敵前上陸が行われた。
上陸作戦に続くノルマンディー地方の制圧にはドイツ軍の必死の抵抗により二ヶ月以上要した。
ノルマンディー上陸作戦は今日まで第二次世界大戦中の
最もよく知られる戦いの一つとして数えられる。
「D-DAY」は作戦決行日を表し、現在では作戦開始当日の1944年6月6日を意味する用語として使われる。(wikipediaより)
当時に生きていた訳ではないので、その凄惨さは理解し難いが、
相方と初めて一緒に映画を観に行ったのが
「プライベート・ライアン(原題:Saving Private Ryan)」だった。
そうノルマンディ上陸作戦に絡んだ作品で、 ナイランド兄弟を題材にした作品だ。
冒頭で繰り広げられた20分間のオマハ・ビーチでのリアルなシーンが話題を呼んだ。
あのシーンだけでも筆者には衝撃だった。
20分のシーンの中に、全くの無音の中、トム・ハンクス演じるミラー大尉の
息遣いだけのシーンが数分間あるが、相方曰く、
演習の中でも起こり得る現象なのだそうだ…詳細は…
聞いたけど忘れてしまった、阿呆な筆者です
しかしあの有名な作戦から65年ですか…
時というのは、人類にとって無情なのかもしれませんね。
何十年かの周期ごとに、血で血を洗う争いを巻き起こし、
悲しみと憎しみを連鎖させていってしまう。
その連鎖を断ち切る試みをしてみるも、それでも現在も続いている。
これが神という存在が、人類に課した原罪の清算なのかも知れません。
(筆者はキリシタンではありませんが…ふとそう思う事もある今日この頃)
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【20世紀で最も影響力のあった人物】天安門事件「無名の反逆者」 [├戦争と平和・現代史]
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天安門事件 謎の「戦車に立ち向かう男」
6月4日19時32分配信 産経新聞
Yahoo!news:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090604-00000611-san-int
【北京=矢板明夫】1989年の天安門事件で、長安街を天安門に向かう戦車の列の行く手を1人で遮り、き然と立ち向かう若い男性がいた。彼の姿を近くのホテルの部屋にいた米国人カメラマンらが撮影した。後に世界中のメディアに繰り返して使われることになる有名な写真だ。しかし、写っている男性は一体誰なのか、その後どうなったのか、20年たった今も謎に包まれている。
中国の民主化運動の象徴として、98年に米タイム誌に「20世紀で最も影響力のあった人物100人」に選ばれたこの男性は、天安門事件までに中国の民主化活動にかかわった形跡はなく、当時の大学生リーダーや知識人の中で彼を知る人はいなかった。その場にたまたま居合わせた普通の中国人若者の1人ではないかと推測されている。
事件の直後、一部の欧米メディアは男性を「19歳の学生で、名前は王維林」と報じたが、すぐに「王維林は別人」と否定する別の報道もあり、いまだに真偽は不明だ。これまでに海外の民主化支援団体や外国メディアは男性に関する情報を収集し続けているが、その家族や知人すら見つかっていない。
男性のその後について「すぐに処刑された」「刑務所の中で精神に異常を来した」「出所して台湾で暮らしている」など諸説が飛び交っているが、いずれも確認されていない。欧米メディアに「無名の反逆者」と呼ばれたこの男性のすべてを知るには中国で民主化が実現され、事件に関する資料が公開される日を待つしかないのかもしれない。
中国政府が無血であると言うのであれば、
以下に映し出された映像について釈明して欲しい。
南京事件をあったと言いながら、六四天安門事件はなかったと言う。
遺憾ながら、中国の民主化は半永久的に来ないのではなかろうか?
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タグ:天安門事件
【映像で見る血の歴史】1950朝鮮戦争 [├戦争と平和・現代史]
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59年前に勃発した朝鮮戦争は、未だに終結はしていません。
38度線(板門店)を境に、半世紀以上「停戦状態」にあるだけです。
それを忘れている人が、当事国韓国にも、そして日本にもいる事実…
そして韓国は日本の経済支援で発展し、現在に至っている。
しかしかつて、家族が離散し、親兄弟は敵味方に分かれ戦っていた歴史がある。
■参考リンク
*朝鮮戦争について
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タグ:朝鮮戦争 1950年-1953年
【地球平和監視時計】リセットされた平和の願い [├戦争と平和・現代史]
【アウシュビッツ】蝕まれた血の歴史の、物言わぬ証人 [├戦争と平和・現代史]
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世界遺産にも指定されている、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所。
現在一部建物で、風化による倒壊の危機に立っていると言う。
ポーランド政府は「過去の教訓を未来の世代に伝えよう」と大規模補修計画を立案。
12000万ユーロ(約160億)を目標に基金を立ち上げた。
加害国ドイツは、早速100万ユーロ(約13000万円)の支援を誓約。
英仏やチェコなども協力する見込みだと言う。
第二次世界大戦が終結し64年…その記憶は、確実になくなり始めています。
人は年老い、天に召され…戦跡は自然の浄化作用で、血塗られた大地を清め、
そして建造物は、朽ち蝕まれ形を失いかけている。
日本では自虐精神で、殆どのものを封印し、新たに装い清潔感溢れる
史跡と変貌を遂げている状況である。
そのままの状態で保存するのは、困難ではあるが、
それを目の当りにする後世の者たちの心には、
必ず戦争の不条理さと、非合理さを訴えかけてくるのである。
決して失ってはならない、アウシュビッツは「負の世界遺産」ではあっても
人類には必要不可欠な、時代の物言わぬ証人なのである。
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ナチス戦犯「イワン雷帝」祖国へ… [├戦争と平和・現代史]
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ナチスの強制収容所で約2万9000人のユダヤ人殺害に関与した疑いで、
ドイツの裁判所が逮捕状を発行した元看守ジョン・デムヤンユク容疑者が、
ドイツに移送され、到着した。
この老人、今後どのような処分となるのか…
まさか64年も前の罪で、逮捕されるとは夢にも思っていなかったのでは?
そんな思いまで過ぎる…当時は血気盛んな25歳。
正しいと思い、従軍していたに違いない。
ある意味、それは参戦中のどの国の若者にも言える事である。
当時の若者…今振り返れば…
まだまだ生々しい傷である事だろうと察する。
64年前…もし、if…あの戦争がなければ、
そして家族が逝なくならなければ…
今はもっと違うものになっていたかも知れない。
そう思う人は多いかもしれない。
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【戦勝記念日】旧ソビエト連邦 [├戦争と平和・現代史]
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2009年5月9日…
旧ソビエト連邦が第2次世界大戦でドイツに勝利したことを祝う64回目の戦勝記念日に
首都モスクワの赤の広場で軍事パレードが行われた。
核ミサイルなども登場したソ連風のパレードで、
いかなる侵略も許さないというロシアの強い姿勢を示した。
う~ん、複雑である。
冷戦崩壊した後、今も尚、旧ソビエト連邦と回帰してしまうこの日…
戦勝記念日の軍事パレードってねぇ…まるで将軍様の御国のようだとも言える。
冷戦真っ只中の時代よりは、大人しくなったなぁ、とは思えるが、
まだまだロシアは社会主義の国なのかなぁ…と、勘違いしてしまいそうである。
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第二次世界大戦で、唯一アメリカ本土を攻撃した日本の戦果 [├戦争と平和・現代史]
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風船爆弾とは、太平洋戦争(大東亜戦争)に於いて日本陸軍が用いた兵器である。
「ふ号兵器」という秘匿名称で呼ばれていた。効果こそ僅少でほぼ無誘導であったものの、
第二次世界大戦で用いられた兵器の到達距離としては最長であり、
史上初めて大陸間を跨いで使用された兵器となった。 風船爆弾(Wikipediaより)
余りにも突拍子もなく、不確実な攻撃手段ではあるが、
アメリカ本土で日本軍の攻撃により死者がでた唯一の事例とされている。
この攻撃法は、当時のアメリカを非常にナーバスにさせ、
アメリカ陸軍は、風船爆弾が生物兵器を搭載することを危惧していた。
着地した不発弾を調査するにあたり、担当者は防毒マスクと防護服を着用している。
また少数の日本兵が風船に乗って本土潜入する懸念を、終戦まで払拭する事ができなかった。
風船爆弾対策のため、アメリカは大きな努力を強いられた。
一方でアメリカは厳重な報道管制をしいて風船爆弾による被害を隠蔽した。
これはアメリカ側の戦意維持のためと、日本側が戦果を確認できないようにする為だった。
報道管制は徹底したもので、終戦まで日本側では風船爆弾の効果は全く判らなかった。
陳腐な兵器ではあったものの、心理的に敵を揺さぶった効果的な手法だった訳です。
如何せんその効果は日本に伝えられることはなく、日本は自滅の道を
ひた走りになった訳ですが…こう言った心理的戦争は、外交にも通じる訳で、
人でもなく、金でもなく、知恵を用いた戦略で日本に有利に向けていく外交戦略が、
今の日本には、最も大事なのではないだろうか?
その昔、戦争という血を流し続ける事を美徳とした、国の施策を、
知恵を出し、情報を提供し有利に運ぶ戦略に転化し、それに労を割く…
そんな外交を展開する事が出来るリーダーって…いないんだろうなぁ、今は。
全く状況は異なるが、アメリカが畏怖した風船爆弾。
その風船爆弾(外交戦略)を今一度望みたくなる筆者である。
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