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2008/08/09 祈りの長崎原爆忌 [├ヒロシマ・ナガサキ]
北京オリンピックのお祭り騒ぎで、扱いが極小化している「長崎原爆忌」の式典。
今年の式典には長崎2区選出の、あの久間元防衛相の出席が拒否されるなど
色々と悶着がありましたが、平和宣言の骨子には故・永井博士の言葉を盛り込む事から
私は密かに関心を寄せていた。
長崎平和宣言
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/abm/index.html
己が如く人を愛した人:永井隆
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/nagai/nagae01.html
永井隆 (医学博士)『ウィキペディア(Wikipedia)』より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%BA%95%E9%9A%86_(%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E5%8D%9A%E5%A3%AB)
五輪祭りも良いが、自国の大切な節目にもしっかり目を向け、
命の危険を感じさせない、平和な世の中になったことを感謝する事も忘れないで欲しいと
老婆心ながら祈るばかりです。
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色々と悶着がありましたが、平和宣言の骨子には故・永井博士の言葉を盛り込む事から
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永井隆 (医学博士)『ウィキペディア(Wikipedia)』より
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【備忘録】会員制SNSで原爆献水活動 [├ヒロシマ・ナガサキ]
献水活動を長年されている方がいらっしゃるのは、知っていましたが
まさか身近で活動されていらしたとは…ネットのおかげで世の中狭くなりましたね。
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原爆献水活動 ミクシィで広がり
8月4日11時26分配信 MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080804/trd0808041123012-n1.htm
原爆犠牲者にきれいな水をささげる献水活動が、インターネット会員制サイト「ミクシィ」上で広がりをみせている。広島市南区のフリーライター、中村一夫さん(51)が2年前から呼びかけを始めており、今年は長野から水を携えて献水に訪れる人が名乗り出ているほか、大阪や大分などからもペットボトルに入れた水が届けられている。中村さんは「水を求めて亡くなった原爆犠牲者の霊を弔う思いを全国に広げたい」と話している。
中村さんは平成14年ごろ、被爆者の宇根利枝さん(89)=同市南区=の献水活動を知った。宇根さんは、原爆投下直後、「水に毒が入っている」といううわさが流れたことから、被爆し苦しみながら水を求める人に水を与えなかったことを悔やみ、被爆者の慰霊碑に水をささげる活動を続けていた。
当時、中村さんは広島県内の名水について取材中。「水の味がいい悪いではなく、宇根さんの心がこもった水こそが一番の名水」と、宇根さんに協力を開始。水くみに同行したり、宇根さんのホームページを作るなどして、原爆献水活動をサポートしている。
中村さんは、2年前にミクシィに参加し、全国各地の名水を探る“コミュニティー”を立ち上げた。同時に、各地の名水を原爆犠牲者の霊にささげようと、原爆献水活動への参加を呼びかけを開始。全国から集まった水を、毎年8月6日に平和記念公園内の原爆供養塔にささげている。今年は大阪や大分など全国約30カ所の水が寄せられる予定で、フランスからも問い合わせがあるなど、活動はじわじわと広がってきている。
今年、初めて参加する長野県上田市の中里章子さん(51)は、ミクシィを通じて初めて、原爆献水活動を知った。今回、同市内にあるわき水をくんで広島に向かう。中里さんは「広島に向かうまでに友人にも呼びかけて、長野のさまざまな名水を集めたい」と話していた。
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【備忘録】それぞれの「ヒロシマ」 [├ヒロシマ・ナガサキ]
耳を澄まして聞いて下さい。
ヒロシマからの声を…
ヒロシマへの声を…
それぞれのヒロシマ…それは過去の出来事かも知れないが、現在進行形でもある。
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原爆開発 女性科学者が初来日 原爆ドームで絶句
8月6日2時35分配信 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/news/20080806ddm012040049000c.html
米国による第二次大戦中の原爆開発計画に携わった女性科学者、ジョアン・ヒントンさん(86)が初来日し5日、広島を訪れた。数万人の命を一瞬で奪った科学に絶望して米国を離れ、中国へ渡って60年。科学者であることを捨て、酪農に従事したが、苦悩がなくなることはなかった。「自分がつくったものがどんな結果をもたらすのか。それを考えず、純粋な科学者であったことに罪を感じている」。しょく罪の意識から、広島訪問をかねて望んでいた。【平川哲也、黒岩揺光】
「オーフル(awful、ひどい)……」。5日午後、原爆ドーム。ヒントンさんは鉄骨がむき出しの最上部を仰いだ。ドーム脇の英語の説明文を一語一語かみしめるように読んだ。「私はただ、実験の成功に興奮した科学者に過ぎなかった」
1945年7月16日、米国南西部のロスアラモス近郊。立ち上る人類初の核実験のきのこ雲に、ヒントンさんは胸を躍らせた。原爆を巡るドイツやソ連との開発競争に打ち勝つため、42年に米国が始めた「マンハッタン計画」。最大時で12万9000人を動員した原爆開発計画が結実した瞬間だった。
「科学を信じていた」。大学で物理学を専攻した21歳のころ、放射線の観測装置を完成させた才女は44年春、請われるまま同計画に参加した。ヒントンさんはプルトニウム精製を担い、全資料閲覧と全研究施設立ち入りを許可される「ホワイト・バッジ」を与えられた。約100人しかいなかったという。核実験の2カ月前にドイツは無条件降伏しており「研究目的の原爆開発であり、使われないと考えていた」。
しかし8月6日。広島上空で原爆がさく裂する。新聞で原爆投下を知ったヒントンさんは声を失った。「知らなかった。本当に知らなかったの」と、まゆをしかめて話した。
戦後は核兵器の使用に反対する動きに加わった。48年、内戦が続く中国・上海に渡った。内モンゴルに移住し酪農を営んだ。消えた足跡に、米国の雑誌は「原爆スパイ」と書き立てた。健在が知られたのは51年、全米科学者連盟にあてた手紙が中国の英字紙で報じられたからだ。それにはこうあった。
<ヒロシマの記憶--15万の命。一人一人の生活、思い、夢や希望、失敗、ぜんぶ吹き飛んでしまった。そして私はこの手でその爆弾に触れたのだ>
あの朝から63年。今なお後遺症に苦しむ人がいる。今なお米国を憎む人がいる。「なんと言えばいいか……」。ヒントンさんは絶句し、宙を仰いだ。
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【2008/08/06広島】原爆死没者慰霊式・平和祈念式 [├ヒロシマ・ナガサキ]
広島、63回目の原爆忌…4万5000人が祈り
2008年8月6日09時14分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080806-OYT1T00254.htm
広島は6日、63回目の原爆忌を迎えた。
広島市中区の平和記念公園では平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が行われ、全国の遺族代表や福田首相、市民ら約4万5000人が参列、原爆犠牲者への鎮魂の祈りをささげた。秋葉忠利市長は平和宣言で、「今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力」と呼びかけた。
午前8時から始まった式典では「慰霊の曲」が流れ、この1年間に亡くなったり、死亡が確認されたりした被爆者5302人の氏名を記した原爆死没者名簿が秋葉市長と遺族代表によって慰霊碑に納められた。名簿は計93冊、死没者は25万8310人となった。
被爆者代表や福田首相、初参加になる核保有国の中国など過去最多の55か国の代表らが次々と慰霊碑に献花。原爆が投下された午前8時15分、遺族代表の広島県廿日市市職員西寿実さん(47)と、広島市立川内小6年の倉西桃子さん(11)が平和の鐘を打ち鳴らし、参列者全員が1分間の黙とうをささげた。
こども代表の広島市立吉島東小6年、本堂壮太君(12)と、市立幟町小6年、今井穂花さん(11)が「平和への誓い」を読み上げた。
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1945/08/06 人類初・広島ジェノサイド【広島原爆忌】 [├ヒロシマ・ナガサキ]
【備忘録】原爆証言…ドイツで出版 [├ヒロシマ・ナガサキ]
年を追うごとに、戦争の悲惨を言い伝えてくださる先輩方が、世を去って行かれます。
私たちは聞き伝え、読み伝えて後世に残さなければならないのではないでしょうか?
あの狂気に流れを任せていた時代の出来事を…
自国の歴史教育に関しては、ドイツを見習うべき所が沢山あります。
既成概念に囚われ、歪曲した歴史を教育の現場で、子供たちに教える事だけはしないで下さい。
大人になって、教えられた事と実際のギャップに衝撃を受けます。
歴史は、奇麗事だけではないはずです。
そして受験戦争に関係なく社会に出れば、様々な場面でそのギャップに出会う場面も増えます。
歴史と歴史教育を軽んじている国は、いずれ滅亡する事となるでしょう。
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私たちは聞き伝え、読み伝えて後世に残さなければならないのではないでしょうか?
あの狂気に流れを任せていた時代の出来事を…
被爆体験:独で出版 親友の本翻訳「原爆の怖さ伝えたい」
毎日新聞 2008年8月4日 23時14分
http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/news/20080805k0000m040138000c.html
ドイツ・ハンブルク在住の元会社社長、河勝重美さん(79)が原爆の日を前に、ドイツ語に翻訳した友人らの原爆体験記と、被爆者の絵をまとめた本「原爆地獄 ヒロシマ-原爆生き証人の語り描く地獄図、一人ひとりの原爆犠牲者の運命を辿(たど)って」(A4判変形、約200ページ)の原稿を完成させた。ドイツの出版社が、10月にフランクフルトで開かれる世界最大の書籍見本市で発売する。
河勝さんの親友で被爆者の岡田悌次さん(78)=東京都目黒区=は、05年の被爆60年を機に初めて原爆体験記を書いた。「世界中の人に原爆の恐ろしさを知らせたい」と英、独、仏訳を思い立ち、在独半世紀以上になる河勝さんに独訳を依頼した。猛火の中を逃げ、黒い雨に降られたこと、「水、水」と叫びながら幽霊のようにさまよう人を見たこと、疲れ果て黒焦げの死体の間で寝たことなど、河勝さんは岡田さんの気持ちになって訳した。
ドイツでの原爆報道は、死者数や破壊力など数値データを重視し、広島の惨状はほとんど伝わっていないという。河勝さんは「一人ひとりが悲惨な死に方をしたことを知り、二度と繰り返してはならないという被爆国の願いを分かち合ってほしい」と決意。被爆死した女学生の記録「広島第二県女二年西組」(関千枝子著)から12人分と、岡田さんを含む3人の体験記などを独訳し、ドイツの出版社に持ち込んだ。
「原爆地獄を読者の目に焼き付けたい」と、広島市の原爆資料館が所蔵する市民が描いた原爆の絵約200点も収録。詩人、峠三吉の原爆詩も添えた。河勝さんは「ドイツ人の感性は、日本人と似ている。原爆の残酷さをきっとわかってくれる」と話している。【田中博子】
自国の歴史教育に関しては、ドイツを見習うべき所が沢山あります。
既成概念に囚われ、歪曲した歴史を教育の現場で、子供たちに教える事だけはしないで下さい。
大人になって、教えられた事と実際のギャップに衝撃を受けます。
歴史は、奇麗事だけではないはずです。
そして受験戦争に関係なく社会に出れば、様々な場面でそのギャップに出会う場面も増えます。
歴史と歴史教育を軽んじている国は、いずれ滅亡する事となるでしょう。
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原爆症認定基準と被爆実体 [├ヒロシマ・ナガサキ]
科学的検証と追跡結果を見せ付けられても、なお国は「従来の審査方法が科学的に法的に誤ったものではない」(厚生労働省)と、言ってのけている。
国の事業としてその程度のモノなのか?
と、思う反面、致し方なしと諦める部分もある。
原爆症の認定と補償は日本が独自で行っている。
勿論原爆を投下し、甚大な被害をもたらしたアメリカからの賠償もない。
アメリカの一般的な見解は「原爆投下は、更なる犠牲を逃れる為の正義」であった。
今もその見解は変わることなく言われ続けられている。
従って、本来アメリカ政府が被爆国・日本を含め、被爆者や原爆被害者数十万人への賠償責任を
負って然るべきであるにも関わらず、現在までその補償の全ては日本が負って来ている。
敗戦国では当たり前の事なのか?
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と、思う反面、致し方なしと諦める部分もある。
原爆症の認定と補償は日本が独自で行っている。
勿論原爆を投下し、甚大な被害をもたらしたアメリカからの賠償もない。
アメリカの一般的な見解は「原爆投下は、更なる犠牲を逃れる為の正義」であった。
今もその見解は変わることなく言われ続けられている。
従って、本来アメリカ政府が被爆国・日本を含め、被爆者や原爆被害者数十万人への賠償責任を
負って然るべきであるにも関わらず、現在までその補償の全ては日本が負って来ている。
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広島「原爆の火」今もなお燃え続けて… [├ヒロシマ・ナガサキ]
原爆の火のお話は、ずっと昔に聞き及んでいました。
平和の塔が建立されたのは、私がまだ物心つく前でした。
老朽化し新しく建立された塔へ移された事は、新聞で知りました。
そしてその「火」を守っていらした方がお亡くなりになった事は、
様々なメディアを通して、リアルタイムで知ることが出来ました。
今日、取り上げさせて頂くのは、そんな「原爆の火」を死して尚、守り続ける
身を以って「戦争を語って」下さった方の記事です。
季節柄、どうしても戦争絡みの記事が目に付いてしまいます。
筆者自身も過分な思い入れもあり、それを手伝っているようで
どうしても他のエントリよりも多くなってしまいます事をお許し下さい。
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平和の塔が建立されたのは、私がまだ物心つく前でした。
老朽化し新しく建立された塔へ移された事は、新聞で知りました。
そしてその「火」を守っていらした方がお亡くなりになった事は、
様々なメディアを通して、リアルタイムで知ることが出来ました。
今日、取り上げさせて頂くのは、そんな「原爆の火」を死して尚、守り続ける
身を以って「戦争を語って」下さった方の記事です。
季節柄、どうしても戦争絡みの記事が目に付いてしまいます。
筆者自身も過分な思い入れもあり、それを手伝っているようで
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