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【ご協力のお願い】広島女子高生刺殺事件:当ブログでの紹介記事
間寛平 地球1周「アースマラソン」
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【訃報】ファラ・フォーセットとマイケル・ジャクソン [|├訃報]
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予てより癌との闘病生活が言われていた、ファラ・フォーセットさんと、
マイケル・ジャクソンの突然の訃報(午前7時の文化放送ニュース)が飛び込んできた。
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【BLOGER】世界最高齢のブロガー逝去 [|├訃報]
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筆者が知っている、日本でも屈指の最高齢ブロガー氏は、
『老兵の繰り言』の管理人の永末千里氏である。御歳82歳。
http://blogs.yahoo.co.jp/senri0220
今回ご逝去されたスペインのブロガー、マリア・アメリア・ロペスさんは、
享年97歳…この年齢になってまで、ブロガーとして活躍されていた事に
感服してしまう!非常に素晴らしい事であると思う。
2006年12月23日に書かれた初めてのブログ記事で、ロペスさんは、
「きょうはわたしと孫の誕生日。とってもけちな孫が、わたしにブログをくれた」
と記し、最初のエントリをされたとか…。
英紙ガーディアン紙とのインタビューで、ロペスさんは、
「近いうちにわたしは死ぬ。わたしが怖いのは、心を失ってしまうということだけ。
それまでは、今のままで続けていくよ」と語っていたそうだ…
人それぞれ、表現方法もそれぞれ異なる。
しかし心に響く言葉が少なくなって来ているのも、現代の傾向であるように思う。
最近感じるのは、ニュースなどの引用記事が多く(人様の事は言えない)
その引用記事だけとか、一言「これってどうなの?」とか…
ご自身の意見や感じた事の記述が少なく、何をどう感じているのか
良く分からないモノが多いような気がする。
(時々筆者も使う手法だったりする 特に、余り興味がないニュースとかに多いかも)
携帯からの見え方も、PCとは異なり、特にAFPの引用記事は、
確認出来ない事が多い(と、言うより、殆どNG)。
そんな時に、どう記事内で表現するかも、現在の筆者の課題となっている。
(色々と試してみている筆者である♪)
自然体で、心に響く…時事系では難しいが
(先人のアドバイスは素直に受け入れ)肝に銘じて、努力していく事にしたい。
何故なら…苦笑
世界中で、自分ほど信じられない存在はないからである。
無知の極みを地で行っている、救いようのない愚者である。
人生2/3(否、1/2か?)を終えても、まだまだ知識欲は底なしなのである♪
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【訃報】偽メール事件で辞職の永田元議員が死亡 [|├訃報]
訃報:飯島愛ちゃん… [|├訃報]
嫌いじゃないタレントだった。
最近なりを潜めて、何をしているんだろう? と…
思っていた矢先の訃報で、結構ショックでした。
自殺ではないだろう可能性が高いのでホッとしましたが、残念です。
改めてご冥福をお祈り致します。
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タグ:飯島愛
筑紫氏逝去、小室・幻の告白本、新空幕長就任 [|├訃報]
【訃報】一作品に必ず1人、稀代の名脇役・峰岸徹氏逝去 [|├訃報]
【訃報】「命のビザ」 杉原幸子さん死去 [|├訃報]
私が杉原千畝氏と奥様のことを知ったのは、1991年に日本国内で汚名が晴れた時分である。
そして1993年に外交官としての杉原氏の半生を綴った「六千人の命のビザ」(杉原幸子著)を拝読した。
ご存知の方も多いと思います。
杉原氏がなされた事は、国に叛くことでした。
しかし国に叛いてまで、為されたことは多くの命を救い、
綿々と未来に繋げる為の偉業でした。
その傍らで、信じて、静かに見守っておられた方…奥様の幸子さんだったのです。
その杉原幸子さん(すぎはら・ゆきこ=外交官・故杉原千畝氏の妻)が10月8日午前1時、
心筋こうそくのため神奈川県鎌倉市の病院で死去、享年94歳でした。
激動の時代に、多くの命を救う偉業を支えて下さった幸子さんのご冥福をお祈り致します。
長い間、本当にありがとうございました。そして、ごゆっくりとお休み下さい…
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そして1993年に外交官としての杉原氏の半生を綴った「六千人の命のビザ」(杉原幸子著)を拝読した。
ご存知の方も多いと思います。
杉原氏がなされた事は、国に叛くことでした。
しかし国に叛いてまで、為されたことは多くの命を救い、
綿々と未来に繋げる為の偉業でした。
その傍らで、信じて、静かに見守っておられた方…奥様の幸子さんだったのです。
その杉原幸子さん(すぎはら・ゆきこ=外交官・故杉原千畝氏の妻)が10月8日午前1時、
心筋こうそくのため神奈川県鎌倉市の病院で死去、享年94歳でした。
激動の時代に、多くの命を救う偉業を支えて下さった幸子さんのご冥福をお祈り致します。
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【訃報】緒形拳 [|├訃報]
肝臓ガンによる肝臓破裂に伴う出血で、2008年10月5日23時53分亡くなられた、享年71歳だった。
ご身内から「あまりにもでかい、かっこいい、温かい男でした」との言葉。
実にそう思います。
私は中学の頃に叔母に連れられ観に行った「復讐するは我にあり(1979年)」が好きでした。
好きと言うよりは、真剣に恐怖を感じました。
それから「緒形拳」と言う俳優に惹かれて行きました。
最後の最後まで、自分に厳しい役者だったのだと思います。
最後まで優しい人だったのだと思います。
それはご子息である、緒形幹太さんと直人さんが語って下さいました。
親友である津川雅彦さんが、語っていらっしゃいました。
私の中では、先に逝去されたポール・ニューマン氏と双璧でした。
古き良き昭和時代の青春の思い出です。
ご冥福をお祈り致します。
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ご身内から「あまりにもでかい、かっこいい、温かい男でした」との言葉。
実にそう思います。
私は中学の頃に叔母に連れられ観に行った「復讐するは我にあり(1979年)」が好きでした。
好きと言うよりは、真剣に恐怖を感じました。
それから「緒形拳」と言う俳優に惹かれて行きました。
最後の最後まで、自分に厳しい役者だったのだと思います。
最後まで優しい人だったのだと思います。
それはご子息である、緒形幹太さんと直人さんが語って下さいました。
親友である津川雅彦さんが、語っていらっしゃいました。
私の中では、先に逝去されたポール・ニューマン氏と双璧でした。
古き良き昭和時代の青春の思い出です。
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追悼【笑いを生み続けた巨匠】漫画家・赤塚不二夫氏逝去 [|├訃報]
8月2日、ギャグ漫画界の重鎮とも言われた、赤塚不二夫氏が肺炎のため亡くなった。
享年72歳。
ある意味、数奇な運命を歩んで来られた方なのだと感じた。
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享年72歳。
ある意味、数奇な運命を歩んで来られた方なのだと感じた。
赤塚不二夫さん死去の3日前に前妻が病死
2008年8月3日15時36分 日刊スポーツ
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20080803-391174.html
<赤塚不二夫さん死去>
赤塚さんが息を引き取る3日前、前妻登茂子さん(享年68)が病死した。2人の1人娘で、作品や版権を管理するフジオ・プロダクション社長の赤塚りえ子さん(43)が父の容体急変を聞いたのは、母の遺体の前だったという。赤塚さんの葬儀日程は前妻の葬儀終了後に決定するという。
関係者によると、登茂子さんが病死したのは先月30日。斎場の都合などで、葬儀日程がなかなか決まらなかった。赤塚さんの容体急変が病院から知らされた際、りえ子さんはひつぎのそばで、母子2人の最期の別れを惜しんでいた。母の死から3日後。ショックも覚めやらぬうちに父の死が訪れた。
登茂子さんは、情が厚く、きっぷのよい“肝っ玉母さん”として知られた。2年前に亡くなった、後妻真知子さんと赤塚さんのキューピッド役だった。腰の重い元夫に代わり、役所から婚姻届の用紙を取り寄せ、「これにサインして」と突きつけた。再婚会見の際にも「保証人」として同席して話題になった。
以前、そんな型破りな両親をみつめてきたりえ子さんに、赤塚さんの素顔について尋ねると「実はすごい常識的な人なんです」と答えた。数多いキャラクターの中で、「めんたまつながりのお巡りさん」が1番近いという。「意外かもしれないけど、性格は決して天然じゃない。ルールを分かった上で、それをわざと壊しているんです。人を喜ばせよう、楽しませようとするサービス精神が旺盛すぎるだけ。でも、度を超えると人の迷惑になっちゃう。父はいつもお酒を飲んでいたけど、飲まないと人と目を合わせられなかった」と楽しそうに笑った。
また、98年に赤塚さんが食道がんを患った直後の言葉が忘れられないという。「ある日、酔った父が『最後につじつまがあってりゃ、何やってもいいんだ』とボソッと言ったんです。それを聞いた瞬間、あっ、これがバカボンのパパの名ゼリフ『これでいいのだ』につながっていると分かった」。
登茂子さんの通夜は3日、葬儀・告別式は4日に決まった。赤塚さんの葬儀はその後、営まれる。
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タグ:赤塚不二夫