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【備忘録】極限の人間愛<岩手・宮城内陸地震> [独り言・私的日記&愚痴]
<岩手・宮城内陸地震>「八甲田山」後藤伍長の長男一家被災で、励ましの電話/青森
7月5日13時4分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080705-00000006-maiall-soci
◇遭難資料館のボランティアガイドらが安否気遣い
1902年の旧陸軍八甲田山雪中行軍遭難事件で奇跡の生還をした後藤房之助伍長の長男信一さん(94)の家族が、岩手・宮城内陸地震で被災した。宮城県栗原市の信一さん宅には地震直後から、青森市の八甲田山雪中行軍遭難資料館のボランティアガイドたちの安否を気遣う電話が届き、信一さんたちは手を差し伸べてくれる「第二の故郷」からの思いやりを胸に、被災した地域の人たちと震災を乗り越えようとしている。【鈴木久美】
後藤伍長は青森の歩兵第五連隊に所属し、210人で真冬の八甲田を行軍。方向を見失い、寒さや飢えで199人が死ぬ極寒のなか、腰から下が雪に埋もれて仮死状態になっているところを発見された。凍傷で手の指すべてと両ひざから下を失ったが、旧姫松村(現・栗原市)の実家で農業をし、村会議員も務めて遭難から22年後に亡くなった。
地震で後藤伍長の墓は倒れ、信一さんの家は棚の食器が散乱。ガラス戸が外れて飛び出した。倒壊は免れて家族にけがはなかったが、信一さんらは「よくこれだけの被害で済んだものだ」と、今も地震の衝撃が忘れられない。
信一さんは、第二次世界大戦のビルマ(現ミャンマー)で7万人が死に、「史上最も無謀な作戦」と言われたインパール作戦に参加。仲間が戦闘や飢えで力尽きていくなか、「親父と同じように生き残ってやろう」と必死だった。
後藤伍長は生存者として英雄扱いされたが、信一さんらに自分の体験談はほとんど話さなかった。「自分も悲惨な状況を人に語りたくない。父も同じだったのでは」。信一さんは、インパール作戦のせい惨な戦場で生き残って初めて、話そうとしない父の理由が分かったという。
後藤伍長の孫で信一さんの長男公佐(こうすけ)さん(70)は、積極的に祖父や父の体験を伝えていこうとしている。信一さんを説得してインパール作戦の体験記をまとめたこともあった。公務員を退職した後は「祖父の生き様を伝えたい」とスライド教材を作り、自身が会長を務める「ふるさと研究会」を設立して住民に上映している。
地震の揺れが収まったころ、遭難資料館のボランティアガイド、池田すず江さん(66)や木村良三さん(67)から信一さん宅に電話があった。公佐さんは「寒さの中で互いに体を抱き合って生きようとした雪中行軍は、極限の人間愛を伝えている」といい、「励まされながら人は生きていく。雪中行軍の人間愛の精神と同じだ」とガイドの心遣いに感謝している。
極限状態では、その人の強い意志で運命が左右されると言います。
お互いに励まし合い、助け合う…究極の人間愛。
同じ日本人として、見習わなくてはならない事です。
「自分だけ」ではない
「情けは人のためならず、廻り廻って我が身に返る」のですから…
一人ではない喜びを、多くの人と分かち合うことが出来ますように
2008-07-05 23:22
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コメント(1)
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kobakoba様
ようこそ、いらっしゃいませ♪
いつもnice!ありがとうございますm(_ _)m
by みかんママ (2008-07-06 09:57)